アーサー・ラッカム Arthur Rackham
(1867ー1939)

 アーサー・ラッカムは絵本の黄金期のもっとも有名なアーティストです。ラッカムの描く妖精やドラゴン、美しいプリンセスは、後にディズニーのアニメーションの原型になりました。セピア色のタッチ、背景のねじれた気、鬱蒼とした森の世界は彼独特の世界を創造しています。
 ラッカム本人はとても優しく礼儀正しい、そして寛大なジェントルマンであったと後に友人たちは語っています。

 ラッカムは1867年、ロンドンに生まれました。彼のドローイングの才能-特にファンタジックな題材のもの-は、幼いときから現れていた。就寝前、枕元でイラストを描いていたといいます。学校でも、その絵の才能で数々の賞を取っていました。
 1885-1892年、消防署の事務として働く傍ら、アートのイブニング・クラスに通い、イラスト雑誌に投稿し続けました。25歳のときから、本業のアーティストになるべくWestminster Budgetのスタッフとなり、政治家や女優、ローヤル・ファミリーの風刺画を描いています。
 ラッカムの挿絵画家としてのキャリアは、1893年に始まりました。しかし、デビュー後すぐに人気が出るというものではなく、同時代のマイナーなアーティストたちに埋もれたものとなります。
 重要な転機となったのは、102枚のイラストを入れた[ インゴルスビー・レジェンド ]を1898年に出版したことでした。批評家たちに公表を博し、その成功が[ シェークスピア物語 ](1899年)、[ ガリバー旅行記 ](1900年)、[ グリム童話 ](1900年)を生みました。
 1903年、ラッカムは天才肖像画家のエディス・スターキーと結婚します。この結婚を機に、それまでの不遇の時代に別れを告げ ” ラッカムの黄金時代 ” を迎えました。5年後には、童話作家としての頂点を迎えます。
 更に1905年の[ リップ・ヴァン・ウィンクル ]がエドワーディアンの時代をリードする作家としても地位を確立します。
 1907年の[ アリスの不思議な国 ]では、ジョン・手にエルを差し置いて ” もっともチャーミングなアリス ”として好評を博しました。
 1907年の[ アリスの不思議な国 ]から1926年の[ ザ・テンペスト ]までは、ほとんどがHodder&Stoughton社よりの出版となります。
 また、1907年には[ インゴルスビー・レジェンド ]、[ シェークスピア物語 ]、[ ガリバー旅行記 ]が改訂デラックス版として出版されました。
 [ 真夏の夜の夢 ](1908年)の成功の後国際的に有名になり、ほとんどのヨーロッパの都市(パリ、ウィーン等)で展覧会が開催されました。
 1914年の第一次大戦開始後、ボランティア活動にいそしむ傍ら[ クリスマスキャロル ](1915年)、[ サム・ブリティッシュ・バラード ](1919年)、[ シンデレラ ](1919年)などの数々の名作を生み出しました。
 その人気の高さはアメリカでも同じで、ニューヨークの数々のギャラリーで成功を収めました。1920年には、アメリカよりの仕事の依頼を初めて受けます。([ スリーピー・ホロウ (1928年) ]、エドガー・アラン・ポー[ ミステリー&イマジネーション (1925年) ])
 1925年以降は、ジョージ・ハラップが彼の主な出版元となりました。

 1939年、ラッカムは人気の絶頂の内に没しました。最後まで、精力的に活動し続けた生涯でした。




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