ベアトリクス・ポター Beatrix Potter
(1866ー1943)

 ヘレン・ベアトリクス・ポターは1866年7月6日に、ロンドン・ケンジントンで生まれました。裕福な典型的ビクトリアン・ファミリーに生まれたポターは、一人っ子の為、幼い頃より動物に囲まれ、絵を書くことが大好きな子供でした。彼女は多くの時を、ウサギやネズミ、ハリネズミなどの小動物と、子供部屋で過ごし、数えきれないほどのスケッチをしました。

 最初の転機は、シェパーズ・ブッシュで買ったピーターというウサギにインスピレーションを得た事に始まりました。子供の友人にあてた長い手紙の中で、ペン画で「ピーターラビットのお話」を添えた事で、初めてピーターラビットは形となります。ポターはその後、幾つかのピーターラビットの冒険談を、数通の手紙で付け加えています。

 数年後、ピーターラビットは完全な本の形としての構想となりますが、出版社がつかなかった為に自費出版で1901年12月に250部、白黒で出版されました。1902年2月には200部増版しています。

 そのささやかな成功を見た出版社大手のフレドリック・ワーン社が出版に興味を示し、1902年10月に8000部限定で色刷りにて一般販売されました。同年中にピーターラビットの物語は6枚の新たな挿絵を加え、5万部を完売します。1903年には‘The Tailor of Gloucester’と‘The Tale of Squirrel Natkin’の両方の本の出版が驚異的な反響を呼びました。1904年には、「ベンジャミンバニーのお話」と「二匹の悪いネズミのお話」もベストセラーとなりました。

 1905年にフレドリック・ワーン家の末っ子のノーマン・ワーンと、親の反対にあいながらも結婚します。悲劇的にも結婚後3ヶ月にて、夫は白血病にて亡くなりました。ポターは彼の想い出を断ち切るべく仕事に没頭し、8年間で13冊の本を出版します。

 1905年からは英国湖水地方の丘の上の屋敷を手に入れ、許す限りの時間をそこで過ごす様になります。1909年には2番目にあたる農場を手に入れています。この購入に携わった地元の弁護士のウィリアム・ヒースにプロポーズされたポターは、又もや両親の反対にあいますが、1913年47歳の時に強攻に結婚を決意します。仕事はもう充分しつくしたと感じていたポターは、その後同じ情熱を彼女の農場に注ぎ込みました。30年後の1943年亡くなった際には、遺言にて農園と広大な土地をナショナル・トラストに寄贈しています。




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