英国アイルランドを代表するアーティストであるハリー・クラークは、1889年の3月にダブリンで生まれた。幼少の頃を、ステンド・グラスの修行と共に、ドローイングやグラフィック・アートの学習に費やし、彼はすぐに色使いに関しては、マスターとなる。彼の全ての作品は、ステンド・グラスの影響を色濃く受けている。
1915−25年の十年間、出版社のジョージ・ハラップ社に依頼され、挿絵本を作る。全ての製品はべラム紙の皮装丁の大判の本であった。これらの中で最もよく知られているのは、(大人向けの挿絵本で)、1919年のエドガー・アラン・ポー著「ミステリーとイマジネーション」、ゲーテ著「ファウスト」(1925年)である。
1925年3月にダブリンにて、開かれた彼の展示会には、彼のグラフィックのみならず、ステンドグラス等の作品も展示され、彼の活動はピークを迎えた。
1920年代までに、彼のガラス・アートへの注文は、大量となり、彼の所属する工房は、‘ダブリン・スタジオ’から‘ハリー・クラーク・ステンドグラス・スタジオ’へと名前を変えた。が、過酷な労働は確実に彼の体を蝕んでいった。スイスに療養に出かけた先で、1931年1月に亡くなった。42歳になる、2ヶ月前のことだった。
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